2021-04-09 第204回国会 衆議院 安全保障委員会 第3号
いわゆるCIAの方なのか分からないですけれども、日本でいくと、日露戦争ばかり言って恐縮ですが、明石元二郎という人がいました。
いわゆるCIAの方なのか分からないですけれども、日本でいくと、日露戦争ばかり言って恐縮ですが、明石元二郎という人がいました。
日露戦争時にロシアでの内部工作に成功した当時の明石元二郎大佐は、後に大将として遇されましたが、明石大将以降は、情報将校の出世は中将どまりで、大将は出ていません。このことが示しているように、日露戦争以後の我が国の情報軽視の風潮が、我が国の道を誤らせた大きな原因の一つと反省する必要があります。
有名な例を挙げれば、当時は、明石元二郎大佐がヨーロッパまたはロシアに潜入して、ロシアの中を、ある面では戦っている相手の中から崩していく、こういう行動を起こしておりました。 こういった情報将校は、明石元二郎大佐が大将になりました。しかし、この後、情報畑の軍人で大将になった人は一人もいないんですよ。全部中将で終わったんです。
あと二人有名な方がおられまして、二番目は明石元二郎大佐という方でありまして、当時はスパイですね、日本のスパイとして活躍をされて、最後は陸軍大将にまでなっておられますけれども、日露戦争が必ず起きるだろうと、ロシアがどんどんどんどん南へ下りてきますので必ず日本が侵略されるということで日露戦争を予測して、ロシアの後方でいろいろ撹乱戦術を取って、レーニンなんかにも大量な国家予算をつぎ込んでいたという話がありますけれども
ただ、日露戦争を見ましても、明石元二郎、後の中将になられましたけれども、この方の情報がなかったら日露戦争がどうなっていたかというのは、あの種の歴史の本を読まれれば必ず明石元二郎という名前には必ず当たるはずです。 しかし、傍ら日本では、防衛庁でも情報関係で将官になりましたのは最近の話であって、これまでは佐官にしかなれなかったと記憶しますので、もうこの十年ぐらいは変わりましたとは思いますが。
これこそが国家の大問題なんだという意識というのは、やはり日露戦争の明石元二郎初め、やはりすごく大事なところなんだ、私もそう思っていますし、おかげさまで、やっと防衛庁も情報関係の人は佐官じゃなくて将官までいけるようになったのもつい最近の話ですから。
この問題が出てから、既にいろいろなところの新聞などでも出ていますけれども、かつて日露戦争の前に、明石元二郎大佐がおられ、そしてこの明石元二郎氏が機密費を使って、やがての日露戦争の我が国の勝利に結びつけていくべく努力をしていった。
明石元二郎の、満州の原野で戦闘する数個師団に匹敵する働きができた、レーニンに武器を購入して渡すことができた、これは機密費です。戦艦三笠を購入した。金がなかった。西郷従道海軍大臣は、これは公金を流用しよう、そして三笠を買うんだ、許してくれなければおれたちは二重橋の前で腹を切ろう。こういうことですな、大時代的なことを言いますけれども。機密費というのは、こういう使い方をするから国民が許すんです。
この宇都宮徳馬先生のおとうさんという人は、ロシア革命を起こすために、陸軍大将として、明石元二郎、それから田中龍夫先生のおとうさんの田中義一という、ロシアに行っていた日本のスパイに対してどんどん金を出して、レーニン革命が行なわれるように援助をした方でございますが、その方の御令息でございます。その御令息が十一月にお会いになって……(「中傷じゃないか」と呼ぶ者あり)中傷ではない。
このレーニンという人がジュネーブに革命の工作のために行っておったときに、日本の明石元二郎という陸軍中佐が、当時の金で百万円、その金を渡された人が宇都宮代議士のおとうさんの宇都宮陸軍大将であったそうでありますが、いまの金にして何千億という金になるだろうということですが、その金で工作してレーニンに金を渡すときに、明石中佐が日露戦争の評価いかんと聞いたら、レーニンは、日露戦争というのはロシア帝国主義の日本侵略